撮影:山崎優也さん
Q 1、バレエ 歴を教えて下さい
2歳半からバレエを始めました。一時期親の都合でメキシコに住んでおり、その後日本に帰国した5歳からチコバレエで学び始めました。そして小5の時にまた親の都合でインドネシアに移りました。向こうでもバレエを続けていましたが、コンテンポラリーの楽しさに魅了され、ストリートコンテンポラリーのクラスなども受けていました。中3で帰国し、チコバレエに戻ってきて、さらに高1から加藤みや子先生の元でコンテンポラリーを本格的に学び始め、今に至ります。
Q 2、その中で受験は何回ありましたか?
高校1校と大学1校とP.A.R.T.S.で合計3回ありました。
Q 3、高校と大学(学部も)を教えて下さい。
国際基督教大学高等学校
日本大学芸術学部演劇学科洋舞専攻
P.A.R.T.S.
Q 4、高校受験で大変だった事は?
そもそも出願資格を得るために必要な英語力の精度を上げる(正しい文法やエッセイを書く為の語彙力等)のが自分としては大変でした。また、高校が独特なのもありますが、面接で「自由とは何だと思いますか?」と聞かれ、自分なりの答えをその場で絞り出すのが大変でした。
Q 5、高校受験で合格する為のコツは?
面接での大切な事は、予想外の質問にもしっかりと答えられる臨機応変さと、自分がやってきたことに自信を持って上手にプレゼンすることだと思います。自分がバレエを、たとえ住む場所が変わっても12年間(当時)続けてきたという事は、大きな武器だと考えていました。また、バレエで培った忍耐力、集中力や、膨大な量の課題を出されるインターに通いながらも、ダンスを積極的に学んできたという両立力もアピールしていました。
Q 6、大学受験で大変だった事は?
日藝は、大学が求める人材に自分を合わせていくという過程が、個人的に大変でした。本当に日藝で学びたいと思う事もたくさんあったのですが、途中で「本当にここで良いのか?」「自分に合ったレベルなのか?」と悩んでしまう時もありました。
P.A.R.T.S.はプレッシャーに打ち勝つのが大変でした。日本予選、本選2次、本選3次の全てで、1分間無音でソロを踊るパーソナルワークというものがあったのですが、緊張して予定より早く踊り終わってしまい、即興で繋いだりしていました。特に3次の際は、お題を出され、オーディションの合間を縫って創作し、2日後に発表という時間の制限があったので、メンタル面が大変でした。
Q 7、大学受験で合格する為のコツは?
日藝を受験する時は、大学のことを調べ尽くし、自分の将来の具体的なビジョンにどうやってその大学での学びを繋げるか、細かく説明しました。例えば、日藝には学生が中心となって(照明さんや舞台美術等も)舞台を作り上げる「総合実習」という授業があるのですが、私は将来、コンテンポラリーダンスのカンパニーを作りたいと思っているので、学生主体でカンパニーのように動ける総合実習は、自分にとって理想的であるという事を、プレゼンしました。
P.A.R.T.S.のオーディションに関しては、大きく二つにまとめると、日頃から先生が意図している事を理解してすぐ実践できる様に意識すること、そして審査員の方や一緒に踊る仲間を信じる事だと思います。
初日から強く印象に残っているのは、「私たちは審査のプロです。目立たなくても君たちが見えています」という審査員の方の言葉です。6日間もある長期戦のオーディションならではだとは思いますが、私は、自分の得意な事や個性をアピールする時と、各クラスの先生が求める事に忠実になる(あえて個性を抑えるとも言える)時を、完全に割り切っていました。先程挙げたパーソナルワークや、即興のクラスでは、自分らしさを全面に出して、審査員の方々の印象に残るように努めました。対して、4つあったコンテンポラリーのクラスでは、各先生方の求める重心の使い方、タイミング、手足の位置などに忠実になるよう意識しました。例えば、あるクラスでは「自発的に動かないで、体が重力に引っ張られるままに進んで。踊らないで。」という指示がありました。ここで自分なりに踊り出してしまう人が意外と多く居ましたが、私はあえて本当に重力が連れていってくれるまで動かなかったり、動いても数歩オフバランスでずれるだけ、など、指示に忠実でいようとしました。もちろん、自分の存在感が薄れていないか、気付かれないのでは無いか、など心配になりましたが、「審査員はプロ」という事を思い出して、きっと見てくれていると信じて、地道に動いていました。また、オーディションの一環で、5人グループで2分程、レパートリーを踊ったりもしたのですが、周りに反応して5人が一つのかたまりとして踊れるような、協調性が求められていました。「私はここでもっとキープ出来るけど、周りに合わせて動く」や「ここは皆素早いから自分も早く動けるように練習する」というような、臨機応変な対応が大事だったと思います。
Q 8、あなたの現在の夢は?
大きな夢としてあるのは、コンテンポラリーダンスのカンパニーを設立して、世界規模での芸術活動をすることです。そしてその中で、ダンサーという職業の持続可能性を改善したいです。残念ながら、現在、身体も心も壊しながら、最低賃金を大きく下回る報酬のもと、バイトと両立しながら踊っている人は沢山います。したがって、趣味ではなく職業として、踊れる、作品を創れるような環境を作りたいと考えています。既にいくつかのカンパニーでは、国からの支援もあり、それらが実現している所があります。その為にも、まずNDTやRosasの様な大きなカンパニーで踊り、学ぶこともしたいです。
人生を通して、エンターテインメントとして消費され捨てられるのでは無く、人の心に残る芸術を追求する為に、自分のカンパニーで様々な挑戦をしていきたいです。
Q 9、その為にどんな努力を毎日していますか?
まず自分に必要なのはダンサーとして、創作者としての実力を高める一択なので、毎日のようにあるリハーサルやお稽古に真剣に取り組んでいます。(当たり前?)
また、スタジオにいる人間の中で、自分が一番ジャンプを丁寧に跳び、安定した回転をし、滑らかなフロアワークをしていると言えるくらいのスタンス、この中で私が1番上手!と言える自己愛と自信が生まれるくらい頑張る、という姿勢でいます。(ただし口には出さないのが身のためです)
また、最近は、ダンスから離れた場所で様々なインプットをする様にしています。例えばアバンギャルドな音楽を聴いたり、ベースを弾いたり、色々なジャンルの本を読んだりしています。創作が大きなカギとなるコンテンポラリーをやる為、自分の中に新しい引き出しを作れるようにしています。また、自分の踊りはお堅くて真面目すぎる時があると気付き、本能とは何かという事を考え始め、結果的に1人で水族館に長居をしに行きました。次は釣りに行こうと思っています。
Q 10、後輩へ一言!
たくさんありますが、一言に絞ると、「プロになれる実力が無いことを、バレエから離れる理由にしないで」です。残酷ですが、どんなに踊ることが大好きでも、全員がプロのダンサーに必ずなれるとは言い切れません。ある時点で限界を感じて、バレエから離れてしまう人がほとんどだと思います。しかし、世の中には想像しているより沢山の進路があって、踊る事だけが舞踊を愛する事ではありません。例えば、舞台を支える舞台監督を目指したり、芸術方面に特化した弁護士になったり、ダンサーの体を整えるドクターになったり、選択肢は数えきれない程あります。新しく開拓しても良いと思います。これから進路を考えていく時、芸術方面は稼げないよ、等と言われたりします。でもそれは、そう言っている人の想像力が少し足りていないだけです。正直、お金を稼ぐのはどこに行っても大変な事に変わりは無いと思います。また、仕事で関わらなくても、バレエやコンテンポラリーは舞台芸術なので、観に行って、その特別な空間に浸る事が出来ます。舞台芸術は、ダンサーだけでなく、裏方さんや評論家まで、舞踊が好きな色々な人の力が合わさって続いていきます。なので、皆さんの「バレエが大好き」という気持ちを過去のものにしないで、様々な形でこれからへと繋げてくれたら嬉しいなと思います。
田村ましろ





当アカデミーでは演舞を華やかに彩るさまざまな衣裳等をご用意しております。また、指定レオタードなどの販売もあります